gRow up

みらくるにあふれるかんじょうをかけたら。

“彼ら”について -1.最初の出逢い-

「会社の人*1が言ってたんだけどね、この山Pの後ろで踊ってる子たちを見に行ってる人もいるんだって!」


これはわたしが小5か小6のとき(あえてどちらか調べようとはしない)、毎年恒例のMステスーパーライブで山Pのソロ*2を見ているときに母がわたしに言った言葉である。そのときのわたしの反応は「へぇーそうなんだー」と驚きはしたが、あまり関心を持たなかった。そのときも別に山Pのファンだから見ていたわけではなく、流行っていて普通に知ってるから。そしてMステスーパーライブというお祭り感がすきというので見ていただけだった。

 

しかし、その約10年後、自分がジャニーズJr.を見に行きたい人になるなんて夢にも思わなかった…

 

もう10年も前のことなのに、どうしてこんなに鮮明に覚えているのだろう。もうすでにこうなることが想定されていたのだろうか。もちろん、ただの記憶なので、少しは記憶違いもあるかもしれない。でも、そのようなことがあったと覚えていること自体、自分でもびっくりだ。

だが、急にジャニーズJr.にたどり着いたわけではなく、ここに至るまでに長い経緯がある。

 

一つ前のごあいさつのブログで、わたしは“彼ら”“だいすきな人たち”という表現を使った。

 

garm5-top-f.hatenablog.com

 

この“彼ら”の理由について話したいと思う。

 

わたしの人生が最初に変わったのは、中2のときだった。

この年の夏クールのドラマは“花ざかりの君たちへ”“山田太郎ものがたり”、そして“探偵学園Q”といった学園モノが多く、わたしたちの世代は中学生というのもあって見ている人が多かった。わたしも“花ざかりの君たちへ”はリアルタイム、“探偵学園Q”は録画、“山田太郎ものがたり”はそのとき見ていなかったが、後に何度も再放送されたので、見ることができた。

そして、ここで、わたしはジャニーズの扉を開くことになる。

探偵学園Q”は家族みんなミステリーがすき、また、主演の神木隆之介くん、志田未来ちゃんが同い年で興味があったことから、以前に1度放送されたスペシャルを見ていた。その流れで、連続ドラマとして始まった“探偵学園Q”も家族全員で見て、ストーリーもおもしろかったので、だいすきなドラマだった。ちょっとずつ、天草流という男の子が気になりはじめていた。

あるとき、TVを見ていたらMusic DownloadのCMが流れた。すると、妹が流がいる!!!と言い出した。あれ、ほんとだ、流がいる…なんで? その後の詳しい経緯は忘れてしまったが、わたしは天草流こと山田涼介くんがジャニーズJr.のユニット、Hey!Say!7*3の一員であることを知り、Hey!Say!7がMステに出演する日*4は録画して視聴した。いつものクールじゃないニコニコしてる流の姿、そして、以前に見たことがあった中島裕翔くん*5によって、わたしはHey!Say!7に興味を持ち始めた。そして、山田くん、裕翔くん、(おそらくMステで初めて知った)小さくて可愛い知念くんも同い年と知って、勝手に親近感が湧き、どんどん引き込まれていった。Hey!Say!7のシングル、“Hey!Say!”は買いに行こうと思って行ったのか偶然通りかかったのか忘れたが、発売日3日後にCD屋さんに行ったとき、初回限定版ラスト1枚を発見し迷わず購入してしまった。ちょうど夏休みという期間にだったのをいいことに、初回限定版についていたPVとメーキングは今でもだいたいどんな内容だったか覚えているくらい何回も見て、録画したMステも振りを覚えるくらいまで見た。それからというもの、山田くんをはじめとするHey!Say!7にどハマりした。祖母の家に遊びに行ったときは、近くの本屋さんでHey!Say!7が表紙の雑誌*6を見つけて買った。これがアイドル誌だということは後に知る。そのあとは北海道に旅行に行ったとき、本屋さんで見つけたポポロを買ったと思う。どこでも買えるのに。この山田くん熱は“探偵学園Q”が終わっても、冷めるどころか日に日に高まっていった。

こうして、わたしの日常に山田涼介くん、Hey!Say!7というものが存在するようになった。

 

そして、ある9月下旬の朝、めざましテレビを見ていると、あの山田くんたちHey!Say!7がいるグループのLIVEの模様が流れていた。でも…Hey!Say!JUMP? なにそれ??  しかも5人増えて10人になってるし…*7 そして、ここで山田くんがHey!Say!JUMPとしてデビューすることを知る。でも、このときのわたしには今までのHey!Say!7のユニットとどう違うのか、あまりわかっていなかったように思う。しかし、今まではTVの出演情報などを手に入れるためにJohnny's net内のジャニーズJr.というページを見ていたが、Hey!Say!JUMPというページができて、そこに情報が載せられて行くようになっていったり、デビューする11月が近づくにつれ、TVや雑誌にも大きく取り上げられていったことでどういうことなのか次第にわかっていった。今までのHey!Say!7にいなかった5人のメンバー*8もすぐに覚えた。伊野尾くんの慧という漢字が難しく、何回も書いて覚えた。笑 そして、Hey!Say!JUMPが取り上げられるTVや雑誌は出来る限りちゃんとチェックし、わたしはデビュー当時からのHey!Say!JUMPのファンになった。

 

そうこうしているうちに、12月に東京ドームでデビュー&ファーストコンサートが発表された。当然わたしは行きたい!!!という衝動に駆られた。しかし、今までコンサートというものに一度も行ったことがなかった。ましてや、地方に住んでいる中学生が東京ドームの行くのには無理があった。でもわたしはそんなお金もないのに、1人で新幹線で行くと言って親に頼みこんだ。もちろん、答えはNOだった。こうして、悲しみに暮れながら、東京ドームでのデビュー&ファーストコンサートを見送った。

 

しかし、3月待ち望んでいたことが起こる。詳しい経緯を忘れてしまったが、JUMPの春のコンサートが地元でも行われること、そしてプレイガイド販売があることを知る(というか、知ったときにはすでに始まっていた)。 わたしは部活内でHey!Say!JUMPのファンだということを話していて、普通にすきだよとわたしの話を聞いてくれていた友達を誘うと一緒に行ってくれると言ってくれた。しかもその友達のお母さんも同伴で。そのことで親からコンサートに行くことを許可してもらったわたしは、発売から3日経っているにも関わらず、プレイガイドでチケットを手に入れることができ、2008年4月4日人生初のコンサートに行った。本当に楽しく、幸せな時間だった。

 

そして確か7月頃、これで受験頑張りなさいと、母が高校受験が終わったらコンサートに行けるようにJr.情報局の登録の仕方を調べてくれて、わたしもJr.情報局の会員になることができた。その年の冬にもコンサートはあったけれど、母との約束を守り、コンサートは我慢した。

 

今考えると、親はわたしのすきなものを無理に押さえつけることなく、可能な限り理解して育ててくれたと思う。感謝。

 

しかし、これはまだほんの始まりにすぎない。このときでさえ、これから起こることをまだ予想できていない。

*1:母の同僚のSMAPや嵐ファンの人

*2:確か“抱いてセニョリータ”だったはず

*3:ジャニーズJr.のユニットでのHey!Say!7は山田涼介、中島裕翔、知念侑李、有岡大貴、高木雄也の5人だった。

*4:初登場したその次の週も出演していた。

*5:小学生のときに見ていた“野ブタをプロデュース。で主人公亀梨くんの弟役をやっていたので知っていた。そのときはゆうとと読めず、中島ゆうしょうくんだと思っていた。

*6:おそらくHey!Say!7が表紙の雑誌は複数あったが、わたしは1番気に入った写真があったWink Upを購入した。

*7:結成当時は森本龍太郎くんというメンバーがいて10人だった。

*8:薮宏太、八乙女光、伊野尾慧、岡本圭人森本龍太郎